円やかに生きる ー谷保暮らしー

東京都のど真ん中国立市谷保地域にて、畑を耕して、地域に関わる暮らしを書き記すブログ。そのほか天真体道、身体、詩、関わることをツラツラと。

黒と赤

五日市街道を走らせる

車線の上に横たわる黒い何か

動かない

一瞬で通りすぎる

眼に映る赤

いつどこででもそれはある

涙がこぼれる

黒い何かの代わりに泣いているのか

何を悲しんだのか

悲しみとはなにか

何のために生きる

何か残してしまうようなものはないか

その瞬間で死にきりたい

 

浅間大滝ーDay2ー

滝行、二日目。

 

二日目の目標は、

 

自分で滝から出てくること。

動くこと。

もっと楽しむこと。

 

ということで、早朝から入滝。

前夜、雨が結構降っていたこともあって、水量はより増していて、一日目の心地よさを感じつつも、やはりちょっと緊張する。

よし、入ろう、と思ったら、

先生に止められて、上脱いで、とのことで、上裸で入る。

 

初日より、息苦しさはなくて、すぐに呼吸は安定していく。

 

目を開けてみよう、と思ったら意外にも楽に目は開けられる。

ああ、先生が見えるなあ、と冷静にいられた。

 

ああ、動けるなあ、と思って、動く。

 

大基本の型をしたり瞑想の中の型を試す。

途中からどうでもよくなり、自由に動く。

打たれる箇所が変わると、動きの中で打たれると、自分の力の入りようや気づかぬ部位に気づいていく。

 

何より楽しい。

喜びしか湧いてこなくて、終始ニコニコしながら滝に打たれた。

初日にやれなかった、滝の水を飲んでみたりして、初日にもあった身体の中央が透き通るような感覚がより広がってく。

打たれているはずなのに、身体は伸びていくよう。

もう気持ちよくて仕方ない。

 

初日より短い時間だったけれど、大満足。

もうとにかく喜びしかなくって、身体の軽さが気持ちよくて、車まで飛び跳ねるように走って帰ってしまった。

先に滝を出ていた女性陣は、走ってきた僕を見て何か起きたのかと心配していた。笑

 

今回の滝は僕にとって「喜び」だったなあと思う。

ニコニコで濡れたままに走る僕。

僕の根っこってこれじゃないか、って感じ。

帰ってきて、子どもとぐちゃぐちゃになって遊んでるとき、ああこれだなあ、て思う。

 

まあ、とにかく楽しかった!

 

また、滝行きたいな。笑

https://www.instagram.com/p/BXF-wiCB7tq/

ちょっと滝に打たれてきた#滝行 #浅間大滝 #天真体道 #ブログ再開しようと思っている

浅間大滝 ーDay1ー

滝行に行って来た。

まさか人生で滝行に行くことになるとは思ってなかった。

人生ってほんと分からない。

 

今回行った滝は浅間大滝。

昨年の8月にネパールに行った時に小さな滝に入ったけども、動画を見たら大きさが段違いだった。

 

どちらかというと楽しみ多めの気持ちで軽井沢へ。あんまり現実感がなかったのもある。

 

目の前に滝がくるとやはり迫力に圧倒されて、ちょっと緊張。

 

一番手での入滝。

滝入るなら一番激しいところ行くしかないだろう、とずっと思っていた。

僕ってこういうところがなんだか極端だよなって思う。

ストイックだよね、とか言われることもあるけれど、僕の中であんまりそういう意識がなかったりする。気づいてないだけかもしれないかな。

 

とにかく入滝。

入ってまず思ったことは、

 

「息できない!!」

 

冷たい、とかもあるけれど、とにかく苦しい。

 

「力抜け!力抜け!」

 

と頭の中で呟いて、力を抜く。

滝に行く前日にかなり強烈な稽古で力を抜かざるを得ないような稽古をしてたからなんとかなった。痛くて、悲鳴あげるほどの稽古だったけど。笑

 

徐々に呼吸が深くなり、次は冷たさと身体の重たさの感覚。

 

その重たさも徐々に身体の下へ下へと降りていき、最終的には、呼吸も安定して、冷たくもないとっても心地よい感覚に。

 

夢中で入っていて先生に叩かれたことにも気づけず引っ張り出された。

15分~20分くらい入っていたようで、出たときは平衡感覚がなく、産まれたての小鹿のような感じだった。

なんとか着替え場まで辿り着く。

 

着替えて宿に帰った後も、指先のピリピリ感、腕と食道あたり?がヒンヤリとした感覚が残る。寒さや冷えではなくて、透き通るようなヒンヤリ感。イメージとして浮かんだのは、クリスタルとか鉱石のような感じ。

 

とにかくそんな不思議でそれでいて心地よい感覚に興奮しつつの一日目。

 

二日目につづく。

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ちょっと滝に打たれてきた#滝行 #浅間大滝 #天真体道 #ブログ再開しようと思っている

夏の静けさ

雷がゴロゴロ、雨がバシャバシャ。

黒い雲が通りすぎると、青が顔をだす。

蝉が鳴き始めた。

夏。

今、夏になった。

虫の声一つですうと身体の力が抜ける。

カレーを作る。

ご飯を相変わらず食べ過ぎる。

珈琲を淹れる。

砂糖なんていれない。

ミルクももちろんいれない。

ふう、と息をつこうにもどこか息はつけない。

眠い。眠くなる。

森山直太朗の曲をかけてみる。

感情的にしかならない。

泣けばいいのかな。

 

オレンジ色の灯りと畳に映る影と扇風機の音。

 

静けさが欲しい。

全くの静けさを感じたい。

 

夜は踊りの中

夜の踊りの中

夢中で踊る
上手な人を目で追って
音を感じて
酔っ払った頭を絞りこんで
そんな風にして踊る

ふと上手く踊れる

 

僕はもっと自分の楽しむを感じようと思う
どこか自分を無いものとして考えてるところがある
あるよ

どうしても、ある
僕はどうしてもあるから
今は楽しまないと
嫌な人と楽しくしようなんて思わなくていいさ
誰が僕になんと言おうとはね飛ばしてもいいさ

 

 

そんな風に思う

夏の夜

悟っているかのようにして

どうしようもなく何かが必要であるとき
結局のところ身近な人へと走るのだ
必要であることを餌にして
理性では帰らねばと思いながらもすぐにその場の慰めや気休め優しさに流されていく

何がよいかなどわかるはずもない
大抵歳をとるごとに悩むことは減るのだろう
仕方がないのだなんて言い放ち
恥や外聞なんて知らないのさとわざわざ言葉にしてみたり
楽しければよいと何かを置き去りにしながら
そんな風にして自分の言葉を聞く自分のことを固めていく

かくいう自分も仕方がないのだ
結局のところ答えはでないのだ
そんな言葉で自分のことを楽にして
我が儘であることを容認して
あまりにも簡単に身近な人の些細な心を踏みにじんで
相手のために誰かのためになんてことは何もしたことはないのだろう

暮らしの仕方がそれをさすと断ずることも容易くて
たしかにそれもあるのだろうけれど
だけどもそれだけなはずもなく
でも愛や思いやりなんて安直な言葉で全てを纏めようなんてことは受け止められず

結局のところ
分かっていることといえば
今 夕暮れて薄灯りの灯る部屋にポツリと座り光る画面に向かう自分だけだ

そして またもそれを物語かのようにして
何か悟っているかのようにして
小さな小さなものに悩みながら
それでいて自分の欲や業を
無責任に不確かなネットワークに放っている

呪文

旧くからの知人と
酒を酌み交わしているはずなのに

言葉はその身体をすり抜けて
能面のような白壁に染み込んでいく
お互いの言葉はただ発しているだけのようだ

何か呪文のような言葉なのだけれど
それがなにかは僕にはわからない

トーシバがどうだ
オリックスはこうだ
ユニクロはどうなった
セブンはこんなだ
スズキさんはああするさ
ナンジュウオクってなんだ

なんだかよくわからない呪文が
ぼくの耳からどこかへとすり抜けていく

なんだろうか
なんだかとてもふわふわと膨張したその呪文は